プレミアム・クーペ
↓写真は1968年モデルです。
今回は「試乗オヤジ」がまだ免許取たての24年前に乗ったクルマのお話です。
「なんでそんな昔のことを覚えてるかって?」
「抜群に素晴らしかったからです!」
オヤジはしょーもないクルマは昨日乗ったクルマでも忘れてしまうのですが、美味しいものといいクルマは何年経ってもしつこく覚えているのです。
その頃、オヤジはスカイラインのジャパン・ターボEX・4ドア(3AT)という車に乗っていました。
これが実に「重くて・低速スカスカのどっかんターボで・セミトレの足がフニャフニャの一気にブレーク大王」だったのですが、ある建設会社の社長の息子(大金持ち)の友人が、親戚を送るとかで4ドアのボクのクルマと2.3日換えてくれというのでやってきたのが、この117クーペXEだったわけです。
117クーペといえばリアサスなんてリーフ・リジットで、当時でももう随分古いクルマという印象がありましたが、乗って見るとこれがどうして「超なめらかで高級感に溢れているではありませんか!」。
貴婦人というのはフェアレディではなく、この瀟洒のクーペにこそ似つかわしい!と思います。
ランチャのアウレリアやフルビア、もしくは初代シルビアや日野コンテッサあたりのクラシカルなクーペにも似た高貴なスタイリングです。
かるーく、117クーペの概略に触れますと、68年デビューで5年間はハンドメイドでした。
今もマニアはこの時代にこだわるゆえんです。その後73-81年がマスプロ時代ですね。
デザインは言うまでもありませんが、ベルトーネからギアに移籍したばかりの若きG・ジウジアーロです。
低いウエストラインと大きなグラスエリア、細いピラーはステンレスとし、ボディを薄く見せています。
発売当時はエンジンは1.6で172万円!(クラウンが90万円の時代)でした。
これはひとえに手作りのためですね。当時の生産技術ではジウジアーロの微妙な曲線を出せなかったんですね。
ガラスも手曲げでした。
マスプロ時代になってボディとウインドウに微妙なニュアンスは消え、内装も随分安っぽくなりました。
エンジンは1.8・2.0が追加され、最後は2.2ディーゼルもありました。
そうそう24年前の記憶です。
ボディはボクのジャパンと違い、ミシリともいいませんでした。
段差を超えてもサスはしなやかでした。
リジットの先入観を差し引いても思いのほか柔らかくショックを伝えません。
ATもスムーズでトルコン・スリップは少なく、自然で力強い加速を与えてくれます。
そしてステアリングがこれまた高級で実にしっとりとしたフィールを伝えます。
インパネにあしらわれたウッドパネルと共に、当時のボクは「高級とはこういうことか!」と初めて知ったものです。
後日、友人に返却に行くと、友人はボクのジャパンをお世辞半分に「速いけど、ちょっと怖い」といっていました。
そう、「速い」はお世辞で、「怖い」が本心です。ステアリングは遊びが大きく、リアサスも締まっていないので、ギャップに合うとどこに飛んでいくか分からないのですから!
その点、117クーペは正確なステアリングと限界の掴みやすい足回りを持っていました。
エンジンもDOHCはラフだと聞いていましたが、とてもスムーズでスイートな感触でした。ボディは手作りでなくともその心はちゃんとメカニズムに宿っていたのです。
友人の家で互いのクルマの印象を話していると、お母さんがお茶とケーキを出してくれました。グランドピアノのあるリビングで出されたケーキはやはりとても高級な味がしたものです。